小学校からの旧友からとつぜんメールがあった。幼いころから20年ちかく暮らした団地にたったひとつあった本屋が、ついに看板を下ろしたという。

小学校からの旧友からとつぜんメールがあった。開いてみると、幼いころから20年ちかく暮らした団地にたったひとつあった本屋が、ついに看板を下ろしたという。

昨今の“まちの本屋さん”の多分にもれず、かねがね経営が苦しいという話は聞いていた。それは店を見れば一目瞭然だった。店内の蛍光灯は明かりが落とされ、昼間でも店内は薄暗い。店のオヤジに「これじゃお客さんがはいらないじゃないか」というと「明かりはお客さんがきたときにつければいいんだよ」というようなありさまであった。オヤジは数年前から「いつ店をたたむか、そればかり考えてんだよ」と繰り返していたが、ついにその時がきてしまったということだ。

団地は、東京の西のはずれに位置する。新宿から東京都西部へと至る私鉄の急行電車で50分。東京六大学のひとつにも数えられる大学のキャンパスの最寄り駅で下車し、さらにバスに揺られること10分。山の中だ。

高度成長期には、多摩ニュータウンや千里ニュータウンに代表される大規模な団地開発が大都市圏郊外のあちこちであいついだ。ここもそのひとつで、丘陵をまるごとひとつ切り開いて造成された都市計画団地だ。

完成が昭和50年代後半とわりあい遅かったこともあって、ぎゅうぎゅう詰めのウサギ小屋のようなアパートはさすがに存在しない。街路樹の植えられた幅の広い道路が団地内にめぐらされている。丘のてっぺんには小学校があり、団地のどこからでもその姿を望むことができる。住居は、いわゆる戸建てふう集合住宅であるメゾネットが中心だ。ビバリーヒルズばりとはいわないが、完成当時はそこそこに瀟洒なつくりだったはずだ。

中心部には、団地にお約束の商店街エリアが存在する。スーパーマーケットや電器屋、薬局、ベーカリー、銀行、郵便局、病院などといったひととおりの施設が揃い、それなりに町の体をなしていた。その本屋も、商店街の一角に店を構えていた。

山の中の団地なので、自転車くらいしかアシがない子どもたちは、何かにつけ必然的にこの商店街に足を運ぶことになる。小学生のころには、みながその本屋で少年ジャンプを毎週買い、店の前のコインゲーム機に熱中した。

本屋の親父がふつうの商店主とすこし毛色が違ったのは、自らがその団地の建設に携わったゼネコンの社員だったということだ。なんでも、みずからが手がけた団地に文化を根付かせようと一念発起して会社を辞め、骨をうずめる覚悟で本屋を開いたのだという。

“文化”うんぬんという当初の目的が果たせたかどうかについては議論の余地があるが、オヤジはあるときには住人の相談役となり、あるときには不良の更生役となった。しごくまっとうな“ニッポンの商店街のオヤジ”として、団地内で存在感を発していたことには疑う余地がない。

団地に小さな本屋を開いたオヤジの覚悟は、潮の満ち干きのつかの間に、砂浜に一本の杭を突き立てるがごとき徒労だったのだろうか。

383709298_168この団地をいちど機上から眺めたことがある。自宅をジェット機から見たことのある人はあまりいないと思うが、これは偶然だ。

もう7、8年前のことになる。成田から北京へと向かうジャンボジェットだったのだが、ちょうど運よく窓際の席に当たったので、ガラスに顔をべったりとくっつけて眼下に広がる景色を見ていた。北京行きの飛行機は、成田を飛び立つと回れ右をして東京湾を横断する。そして東京都と神奈川県の境をなぞりながら西へと進んでいく。すなわち、多摩川の流れを河口から上流へとたどっていくということだ。

383709298_221やがて、飛行機は多摩川右岸の多摩丘陵へとルートを変える。さいしょは灰色の構造物に埋め尽くされていた風景はしだいに緑がちになってくる。そして平野がいよいよ果て、機が関東山地へと突入しようとするまさにそのとき、見慣れた街が眼下に一瞬姿をあらわした。ついさっき出てきたばかりの自分の家も、はっきりと見て取ることができた。

やがて景色はいちめんの緑に塗り変わり、飛行機が本州の背骨を横切って日本海側に抜けるまでというもの、まとまった灰色は二度と見ることがなかった。団地はほんとうに関東平野の突端に位置していたのであり、空から見るとそれはまるで海にするどく突き出した岬のようであった。

383709298_84つまりこの団地は、首都圏の宅地開発の大波がかろうじて届いた末端なのであった。これは同時に、わが国の人口が増加から減少へと転じ、ふたたび人びとの流れが都心へと回帰するとき、潮の引くがごとく、まっさきに人びとが消えていく場所であることを意味する。じじつ、小学校の同窓生たちの多くはいまや都心へと引っ越してしまった。都心に近いがゆえに、よけいにストロー効果が働いているともいえよう。

かつて隆盛を誇った都市が廃墟と化した例といえば、あの軍艦島を思い浮かべる人は少なくないはずだ。われらが団地はいうまでもなく、全国あちこちに存在するニュータウンや衛星都市の多くは、きっと数十年後に軍艦島と同様の姿をさらしているはずだ。悪夢のような想像だと感じるかもしれないが、わが国の人口は2050年には9200万人にまで減少すると予測されている。しかも大都市部ではご存じの通りのマンション建設ラッシュだ。都心部から遠ざかれば遠ざかるほど住居が余剰となるであろうことは火を見るよりも明らかだ。

とすれば、この団地に小さな本屋を開いたオヤジの覚悟は、潮の満ち干きのつかの間に、砂浜に一本の杭を突き立てるがごとき徒労だったのだろうか。

店じまいの日、友人が本屋を訪れると、オヤジは遠い目をして「君たちが子供を連れてくることを楽しみにしていたんだけどなあ」とつぶやいたそうだ。そして、店のバックヤードには、そんなオヤジの怨念を発するように、つい先日まで使われていた什器が山のように積み捨てられていたという。■

(このエッセイは、2007年3月に執筆されたものです)