これまで、海水浴場、旧役所庁舎、ビルの屋上などさまざまな場所を舞台として、生活環境と舞台空間との関係のあり方を継続的に探っているAAPA(アアパ/Away at Performing Arts)。その新作公演『Papergate』(構成・演出:上本竜平)が、2007年9月27日から10月1日まで、横浜市中区のZAIM(旧・関東財務局)地下で行なわれた。
巨大な地下水槽のイメージ
水。水なのだと思った。
それはまず、横浜の大さん橋埠頭にほど近く、旧労働基準局を改装したZAIMという、潮の香りが漂ってくるような建物の、さらに海抜はマイナスとなる地下1階が舞台空間であることもそうである。また、私は水辺を訪れたときに天候が雨であると陸と水との境界があいまいに感じられ、たとえば海のそばにいれば海の中にいるような、川のそばにいれば川の中にいるような錯覚にとらわれるのだが、当日あいにく天候が雨だったことも、そのような感覚を呼び起こさせてくれた。
演出家の上本竜平の挨拶に引き続いてわたしたちが通された、その日舞台空間となる地下室も、たとえるならば巨大な地下水槽を想起させる場所だった。そこは奥行き10メートル、幅20メートルていどの長方形の部屋なのだが、壁に沿って、入り口と観客席をむすぶ、人がひとりやっと通れるていどの木製の通路が張り巡らされている以外は、ほとんどが舞台として当てられていた。めいっぱいの暗い水で満たされた水槽と、その周縁をぐるりと取り巻くように申し訳ていどにしつらえられた木製の通路のイメージだ。室内はうす暗く、わたしは足元に注意しながら、ぎしぎしと鳴る木製のデッキを足を踏み外さないように観客席へとむかった。
上本によれば、この作品――Papergate――の根本的なテーマは彼の(そして私も同じだが)原風景として存在する「東京近郊の夜の風景」だという。
…日中に電車での通学・通勤などを目的とした移動を頻繁に行い、住んでいる街にいる時間は多くの場合が夜という日々を、現在の人生の半分に渡り(13歳頃から)行い、その光景を目に焼きつけてきた結果の積み重ねとしてある。いつもの日常では思い起こさなくても、それは確かに、記憶・印象として存在している。(Papergate INTRODUCTIONより)
これを、数人の女性にまつわる、反復する日常の風景として描写したものが作品の根幹をなしている。
処理機関としての郊外
作家の安土敏が東京という街をこう例えたそうだ。
首都圏における経済活動はおもに山手線の内側で行なわれており、人々は郊外から都心へと集まってきてそこで経済活動を行ない、夜にはふたたび郊外へと帰っていく。人々は自宅に帰ると、そこで食事をし、糞尿を排泄し、風呂で垢を落とし、ゴミを出し、そして寝て、また次の朝には都心へと戻ってくる。つまり、大都市の郊外というのは、経済活動のための処理機関と化している、と。
この大都市と郊外の連関のモデルは、若干ペシミスティックすぎるきらいはあるが、作品の根幹となる構造をほぼ正確にいいあてているように思われる。
劇中の複数の登場人物もまた、なかば必然的にこのような生活サイクルを営む。大都市近郊の自宅で過ごす時間の大半は夜間である。劇中では炊事、洗濯、入浴など、いわゆる“家事”と呼ばれるたぐいの活動を想起させる音が連続する。この多くが、水とは切っても切り離せないものだ。今回この作品を見るまで気づかなかったことなのだが、大都市郊外の夜の音というのは、水の音なのである。そして、この劇場空間は、いまや海に注ぎ込まんと濁流と化した下水と同じグラウンド・レヴェルにある。
安土敏の言説にもう少しふれるならば、大都市近郊で処理された人々の生活――糞尿、残飯、ゴミ、垢に代弁されるそれ――は、たいていの場合、下流に位置する大都市めがけて流れてゆく。
対極に位置する大都市と郊外のあいだを、24時間という周期でメトロノームのように行き来する人間。そして都心で笑い、泣き、喜び、怒りした感情はそのまま通勤電車に乗せられて郊外へと運ばれ、水によって洗い落とされ、また大都市のほうへと流されていく。
人間という物質と、人間に乗せられた感情と、そして排泄された物質と感情と、それぞれの要素は不思議な軌跡を描き出す。
もうひとつのテーマ「光」
ここで、この作品は本来、地上に位置する旧・東急東横線桜木町駅舎を舞台にして上演される予定だったのが、急きょ変更となってしまったという事情にもふれておかなければなるまい。上本によれば、本来の制作意図は「こうしたネガティブなイメージに縛られない郊外の生活を描き出すことだった」という。
また、水と双璧をなすもう一つのテーマは「光」だったという。都市近郊に生活する人間が自宅付近で見る夜の郊外の光を、描き出したかったという。たしかに、水銀灯の寒々とした光に照らし出された自宅付近の町並みや、ロードサイドの煌々とかがやくイルミネーション・サインの風景は、私のなかにも強い印象を残している。
はるか都心を見晴るかすターミナル駅でこの作品が上演されたのであれば、都心に拮抗しうる引力をそなえた存在として郊外を描ききることも可能だろう。あるいは、大都市で働き、暮らす多くの人びとの生活を涵養する大河の上流の水源林のような存在として郊外を描き出すことも可能だろう。それが、密閉された地下空間で演じられることによって、(予想外の効果を生むことに成功してもいるが)、いくつかのメッセージ性を失う結果となってしまったことは否めない。
上本は、この3月に同じ『Papergate』を、本来の舞台である旧・東急東横線桜木町駅舎「創造空間9001」で再演する予定だという。「最終的には、東京近郊に見られるあの間隔ある空間の使い方をもって、新たにひとが魅力に感じる風景、生活景色というものを、ダンスや建築、音や照明を通じて客席の前に描き直したいのです」■
(この記事は、2008年1月に執筆されたものです)