ピュ~ぴるの代表作品のひとつである”PLANETARIA”は、身体の自明性に懐疑を唱えるという点で、かの川久保玲の「こぶドレス」を強く想起させる。しかし、その創作プロセスを追っていくと、「こぶドレス」よりも多くの示唆に富み、そのまなざしはもっと奥に向かっていることに気づかされる。
彼女の代表作品のひとつである”PLANETARIA”をはじめてみたときにわたしがおもいだしたのは、かの川久保玲の「こぶドレス」だ。
もう10年ちかくまえのコレクションになるだろうか。
パリで発表された、あちこちに羽毛パッドをつかった「こぶ」を縫いこみ、背中や肩、腰を不自然にふくらませたドレスのことだ。
それはわたしたちのふだんかんがえている身体の自明性にたいしてとてもおおきな問いをなげかける、たいへんセンセーショナルなものだった。
しかし、その問いかけはおもに身体のラインや表象としての女性性へと向かうにとどまっており、それを着るひとの内面にまではいたっていなかったようにおもえる。
ひるがえって、ピュ~ぴるの代表作のひとつである”PLANETARIA”に目をむけてみよう。
一連の作品をまのあたりにして、いちばん印象的なのは、やはりカラダのあちこちに縫いつけられた「こぶ」状の物体である。
ある作品では腕そのものがこぶにのみこまれ、またある作品ではいくつものこぶが身体のラインじたいをまったく覆いかくしてしまっている。
彼女の作品は、妄想や強迫観念からうまれた独自の世界観からなりたっているといわれる。
とすれば、やはりこのシンボリックな「こぶ」は、さまざまな妄想や強迫観念をはじめとする創作者の内面がかたちをもって、身体の表面にあらわれでたものだと考えるのが適当だろう。
「こぶ」のひとつひとつにどのような情念がこめられているのかについて、わたしには知るよしもない。
しかし、この”PLANETARIA”は、さきの「こぶドレス」よりももっとおおくの示唆をわたしたちにあたえてくれているように思えてならない。
それは、妄想や強迫観念などといった感情をも創作のモチベーションとして取り込みながら、人間の内面と身体の表象を文字どおり「縫いあわせ」、また創作者みずからがそれを身にまといひとつの作品として昇華させる、というプロセスがほかに例をみないからだ。
川久保のまなざしの到達点がせいぜい身体の自明性にとどまっているのにたいして、、ピュ~ぴるはみずからの荒ぶる感情をも創作の推進力として取り込んでしまうという命がけのプロセスを経ることで、そのまなざしを人間の内面へまで軽々と到達させることに成功している。
しかも、それぞれの作品に天体の名前をあたえてひとつのユニバースとして自己完結させることで、さまざまな区別や区分、差異、境界線などを無化するたくらみに成功してしまっている。
身体のラインや表象ばかりか人間の内面に向けても、その自明性にたいしては懐疑をとなえ、そして多様性にたいしては寛容やあたたかいまなざしをそそぐ。 それが唯一無二なピュ~ぴるの存在意義であろう。
(2007年3月)